ヘルプのアンテナ、立てていますか? 日本とドイツで感じた親切の違い── ジェットコースターのようなドイツ生活から見えたこと

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日本は本当に親切な国?

日本では、自分たちの品行の良さや親切さが世界的に評価されている、という認識が広く共有されているように感じます。
ただ、日本から出て久しい浦島太郎の私から見てみると、それとは少し違った側面もあるのではないかと思うようになりました。

では、比較していきます。

人の分布の違い(体感ベース)

次のグラフ(イメージ)はそれぞれ、日本とドイツにおける、親切な人、中間の人、攻撃的な人の分布をあらわしています。
わたしの体感調べで、恐縮です。

日本は大多数の普通(中間)の人がいて、親切な人と攻撃的な人はともに少ない印象です。

かわってドイツは、中間の人が少なめです。
親切な人もいる一方で、がさつな人や攻撃的な人も目立つ印象があります。

匿名の優しさがあるドイツ

親切な人は、いつもヘルプのアンテナを立ててくれており、特に自分が社会的に弱い立場にいる場合、例えば、子ども、子連れの親、お年寄り、妊婦、体の不自由な人などの場合は、その恩恵を受ける機会が多いです。

街中や電車で、困る前から声をかけてもらい、席をかわってもらったり、乗り降りの手伝いをしてもらったり、階段で重い荷物を運んでもらったりと、日常的にそんな優しい人の存在に出くわし、感謝することが多々あります。

子どもや子連れに対する視線も、とてもあたたかく、微笑んでこちらを見ててくれます。(非常にありがたい)

ドイツでは、匿名の優しさが溢れています。

これに関しては、日本とは比べ物にならないくらい、ドイツの良いところだと感じています。

なぜ私が、日本がずば抜けて親切な国だと思わないかというのが、この点です。
匿名の場面では、日本人はあまり助け合いをしない印象があります。

電車でもベビーカー連れの親子に席をかわる場面はあまり見かけないですし、妊婦さんもよく優先座席の前で立っています。
道端で誰かが困っていても、すぐに声をかける場面はあまり見たことがありません。

日本の親切は「仕事の中」にある

日本にももちろん、個人の親切はあります。
ただ、日常の中で強く印象に残るのは、仕事の場面で発揮される親切の安定感です。

店員と客、役所の職員と市民、病院スタッフと患者など、役割の中で発揮される親切は非常に安定しています。

このような場合、職務中の皆さんは、プロとして優しさを差し出してくださっており、その質が揺らぐことはありません。

一定のレベル以上の親切を出すことが、仕事の一部になっています。
安心してサービスを受けにいくことができます。

ドイツではこれは普通ではありません。
仕事の内容に「一定の親切」が含まれていないため、不機嫌な人や無礼な人に当たった場合は、悪態をつかれることがあります。

日本で悪態をつかれることは、そこまで日常的ではありません。

日本人は全体のレベルが底上げされていて、平均的に落ち着いている人が多い一方で、すごく親切な人もそこまで多くはない印象です。

親切が発揮されるタイミングの違い

日本では、落とした財布や携帯電話が戻ってくることは珍しくありませんし、道に迷っていれば声をかけてもらえることもあります。
ただ、その親切が動き出す瞬間には違いがあるように感じます。

どちらかというと、日本ではルールを守ることや秩序を保つこと、そして問題が起きた後にきちんと対応する場面で発揮されることが多い印象です。
一方でドイツでは、問題が起きそうな場面で周囲をよく観察し、必要であればその場で個人が介入することが比較的自然に起きます。

日本では、知らない人に声をかけるまでに少し間があります。迷惑になるかもしれない、相手の領域に踏み込んでしまうかもしれない、という感覚が働くためです。
ドイツでは、その判断までの距離がもう少し短く、必要そうであれば自然に声をかけたり、手を貸したりすることが多いように感じます。

日常の中に見える違い

日本人は、電車の中でも街中でも、寝たふりをしたり目を閉じていたり、周りにあまり目を配らないように見えることがあります。
周囲に気づいていないというよりも、疲れていて余裕がなかったり、面倒ごとに関わらないようにしていたり、知らない人に声をかけることへのためらいが重なって、結果として関わらない選択になっているのかもしれません。

こうした行動はどれか一つの理由ではなく、「配慮」と「自己防衛」と「疲労」が重なっている状態なのだと思います。

文化的な見え方の違い

よく、日本は「察する文化」、欧米は「主張する文化」と言われますが、この点では少し単純ではないように感じます。

日本では空気を読むことが重視されるため、知らない人に対しては距離を保つ方向に働くことがあります。間違って介入すると気まずいし、関わらないことも配慮とされる場面があります。

それに対してドイツでは、困っている「状況」を見て判断し、必要であれば自然に関わることが多いように感じます。放置する方が不親切になる場合もありますし、当事者に聞いてみなければ分からないからこそ、「手伝いましょうか?」と気軽に声をかけ、断られたらすぐに引く、という距離感で介入することが多いです。

振れ幅のあるドイツの日常

私の日常はこんな感じです。

歩道を歩いていると、向こうから猛スピードで何かがやってきます。ぼうっと歩いていて、直前でやっと認識しました。電動スクーターに乗った人がぶつかりそうになり、そのまま私に吐き捨てます。

「クソがっ!」

歩道なのに、です。

そうかと思えば、スーパーでアプリが使えずレジで苦戦していたら、レジの人が私のスマホを操作して助けてくれます。

それでもアプリが使えずにいると、後ろに並んでいた店員さんが「わたしのを使えば良いわ」と、自分のアプリをかざして、私に割引クーポンをくれたんです。

どちらが良いのか

平均が少ないドイツなので、親切と悪態が交互にやってきます。

精神衛生的には、このようなジェットコースターよりも平坦な日本のほうが良いと感じる部分もあります。
一方で、社会的に弱い立場にいるときには、ドイツ型のほうが良いというのが経験上の結論です。

多少、変な人から嫌な思いをさせられても、親切な人のヘルプがあることで、生活のしやすさが大きく変わるからです。

なぜこの違いが生まれるのか

日本は、厳しい労働環境の影響もあってか、他人に配慮する気力や体力の余裕が少ないのではないかと感じています。
自分のことで精一杯になりやすい状況です。

子育て世代やお年寄り、体の不自由な人にとっては、生きづらさにつながっているように思います。

これからの日本に期待したいこと

労働環境や社会的な政策が改善され、日本人の幸福度が底上げされたら、親切な行動ももっと増えて、さらに誇れる社会になるのではないかと感じています。

日本の電車で子連れ移動をしていたとき、成人の方に席を譲ってもらったことはありませんでしたが、高校生が声をかけて席を譲ってくれたことがあり、とても嬉しかったです!

彼らが大人になっても、そのような行動が自然にできる余裕のある社会になってほしいと期待しています。

あなたはどちらに身をおきたいですか?

どちらの国にも、それぞれの形の親切があるのだと思います。
困っているときにすぐ手を差し伸べてもらえる安心感もあれば、社会全体の秩序や安定によって支えられている安心感もあります。

どちらが優れているというよりも、親切が発揮される「距離」や「タイミング」の違いがあるだけなのかもしれません。

あなたは、どちらに身をおきたいと感じますか?

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